子ども

子ども関連

子どもの事故予防:子どもにケガは大切、でも命はしっかり守る!(2016年7月17日、10月10日スライド資料を訂正)
NEW! 話の内容を掲載しました(2017年9月7日)。

「現場の保育士からみた長時間保育」プロジェクトの報告はこちら(ページの下の方のPDFをダウンロードしてご覧ください)。掛札も調査票作成やデータ分析のお手伝いをしています。(2017年1月31日)

●保育1:長時間保育の影響(2016年5月8日)

●心理学、脳科学等の研究結果から考える日本の子育て、そして保育
★6と7で紹介した書籍『3000万語:子どもの脳を作り上げる』は、2018年春には翻訳書として明石書店から出版することが決まりましたため、消しました。日本語タイトルがどうなるかはまだ決まっていません。
7.「3つのT」の別の例(2016年5月12日、5月19日加筆)
6.『3000万語』:保護者と子どものやりとりを変える(2016年5月1日)
5.おもちゃの種類と言葉がけ、やりとりの関係(2016年1月6日、1月14日加筆)
4.語彙と読書と共感性(2015年9月21日)
3.豊かな文脈の中で、言葉の学びが促される(2015年9月20日)
2.できごとの因果関係を解明する(今回はちょっと寄り道)(2015年7月24日)
1.「3千万語の格差」研究から見える、日本の子どもたちの課題(2015年7月13日)

全員保育プログラムと、子どもの認知以外のスキルの発達(2015年10月1日)




子ども関連:短い記事

●「高所平気症」を話の種に「ものの考え方」を考える(2015年11月11日、12日加筆)
(書いていたら長くなったので別のページを作りますが、今日のところは、ここに) 

 数年前に現れた「子どもの高所平気症」が、またまた登場してきました。高層マンションに住む子どもが増え、高さに恐怖を感じなくなり、転落が増えている、という話です。

 この手の話や、あるいは「~が○○という病気に効く」「~はからだに悪い」といったニュースが出る度に、「ほんとかな?」「どこにデータがあるのかな?」と元データや論文を探し始めるのは、職業病。「データがないことは、まず疑う」「データがないことを自分の専門分野で言ってはいけない」「人のデータや言葉は絶対、明確に引用元を記載する」…、米国の大学院で学んだら、これはたたきこまれますから…。このところ話題になっている、とある方の博士号はく奪云々の件など、「そんなの、一発ではく奪に決まっているでしょ。議論の余地ナシ」です。剽窃(他人のデータを引用なしに使う)をした時点で終わりです、米国なら。

 では、高所平気症。そういう子どもがいると、今、言えるかどうか。言うことに意味があるかどうか。論理的にものを考える方法を使うには、とても良い例なので…。日常生活の中で「簡単にだまされない」ための方法、流れてくる大量の情報をより分けるでもあります。特に、健康関係の情報では、同じように考えられるケースが多いと思います。なぜかというと、健康関係の話というのは、ある病気や症状について「~がいい」「~が悪い」と言われても、それ以外にたくさんの要因があるからです(1対1の因果関係であるものは、ほぼない)。

1)高いマンションのベランダ等から転落する子どもは増えている?
〔一般的な問い:それは本当に事実? データはある?〕
 私が、NPOのニュース欄のために検索をしていても、確かに増えている気はします。では、統計は? 細かい統計データはありません。10年前、20年前に比べて、高層マンションから転落する子どもが増えているのかどうか、日本の統計からはわからないのです。
 そして、これは転落だけではありませんが、たとえば「最近、悲惨な事件が増えているよね」という感覚。これは、実際に増えているのかもしれませんが、a) ニュースが以前よりもたくさん報道されている、b) 読み手がそういったニュースを気にかけているために、今までは見過ごしていたニュースに気づくようになった、という要因もあります。30年前(私が20代の頃)、ニュースの源は新聞とテレビぐらい。それが今は…? さらに、自分で検索すれば、日本じゅう、世界じゅうのさまざまなニュースがみつかる。「事例が増えていること」と「報道への曝露が増えていること」は、別物です。

2)転落の原因は、高所平気症? 高層マンションの増加?
〔一般的な問い:それだけが因果関係? 他にも原因は考えられない?〕
 「高層マンションが増えているから、そういう所から落ちて死ぬ子どもが増えているのでは?」…、そう考えるのは、当然の論理です。
 仮に、建物からの子どもの落下事故死(自殺を除く)のデータが何十年分もあったとします。データを見たら、実際に落下死の数が増えているとします。そうすると、まずしなければならないのは、この何十年かの間に起きた「高い建物の数の増加」という要因(影響)を、「子どもの落下事故死の増加」から差し引くことです。これは、統計学的処理でできます。つまり、20年前も30年前も今も、高い建物の数は同じだったと(計算上)仮定しても、それでも最近は子どもの落下死が多い、ということになれば、これは「高い建物が増えた」以上の理由が考えられるわけです。でもまだ、それが高所平気症だと決まったわけではありません。

3)転落した子どもたちは、たいてい死んでしまう
〔一般的な問い:「その因果関係でそのできごとが起きた」と言うことができる? 調べられる?〕
 転落した子どもたちは、「高所平気症」だったのでしょうか? 残念ながらわかりません。高い所から転落した子どもたちは、たいてい亡くなってしまうからです。
 2階や3階から落ちた子どもたちの中には、幸運にも(確率的に)生存している子もいるかもしれません。そういう子どもたちを調べれば何かわかるかもしれませんが、死亡という深刻な結果に至らなかった事故の事例は、日本の場合、ましてやわかりません。ニュースにもなりません。よって、「落ちた子は、高所平気症」というデータはないのです(もし「高所平気症」というものがあったとしても)。

4)落ちるか落ちないかは、確率(運)の問題
〔これは、事故にかなり特有な問いなので、一般化はちょっと難しい〕
 高い所に登ること自体が好きな人は、子どもにもおとなにもたくさんいますし、高い所から飛び降りる(例:バンジー・ジャンプ、スカイ・ダイビング)のが好きな人もいます。ですから、わざわざ「高所平気症」という言葉を持ってくるまでもないでしょう。
 のぼった子ども、のぼったおとなが落ちて死ぬかどうかは、確率(運)の問題です。落ちることがあるかもしれないし、落ちないかもしれない。高所恐怖症(これは本当にある症状)の人は、怖いからこそ、足がすくんでバランスを崩して落ちるかもしれない。
 高所平気症があったとしても、その子が落ちる落ちないは、別の話です。

5)落下死を防ぐのは、別の話
〔一般的な問い:原因(と思われること)と予防は一緒? 予防は別の話かも?〕
 そして、子どもが高所平気症であろうが、高所恐怖症であろうが、「落ちて死ぬのを防ぐこと」は、まったく別の話です。たとえば、ニューヨークではめったに、子どもが窓から落ちる事故は起こりません。なぜなら、あちらのマンションの窓にはたいてい鉄格子がはめられ、そもそも日本のような掃き出し窓・開放型のベランダもめったにないからです(洗濯や布団を外に干す習慣がない!)。
 仮に高所平気症が増えているのだとすれば、なおのこと、落下死自体を防ぐ目先の予防が重要です。というか、落下死が起きている以上、それが高所平気症だろうがなんだろうが、予防の取り組みはもっとするべきです。

6)実験をしてみては?
〔これは、考えてみる楽しみ〕
 本当に今の子どもたちは、「高さ」を恐怖と感じないのか。発達心理学の方たちが調べられることではないのかなあと思います。
 たとえば、有名なvisual cliff(視覚的断崖。最初の実験はGibsonとWalk、1960)のパラダイムなどを使って、乳児の「高さ認知」とそれに伴う不安(心拍かなにかで計測)を調べてみていただきたいと思います。実験を、高層マンションの居住階(1階から数十階まで)、居住年数を要因に入れて行ない、結果を検討してみる。また、同じ地域の1階建て、2階建て住居に住んでいる乳児も対象にする。
 いかがでしょうか。

7)高所平気症はあるかもしれないけれど…
〔一般的な問い:その話が社会に与える影響(良い影響、悪い影響)は、他にない?〕
 深刻事故(この場合は、子どもの転落死)を防ぐことを考える立場にいる人間としては、高所平気症があるのかないのかは別として、高層マンションが現実、増えている状況の中でどうやって転落死を防ぐかが課題です。それはそれで、私も取り組んでいきます。
 もうひとつ、「高所平気症を治すには、外遊びを」といった言葉をみると、「外遊びが大事なのは、成長発達上、当然」と思う一方でこうも考えます。「ベランダや窓から子どもが転落死した場合、その保護者は、『あの時、目を離さなければ』『あの時、ベランダの鍵をかけておけば』『ベランダにイスを置いておかなければ』といった後悔に加えて、『自分の育て方が悪かったのでは』という罪悪感まで持たされるのでは」。「高所平気症」が本当であろうとなかろうと、亡くなった子どもやその保護者を責める言葉になることは避ける必要があります。

 マスコミで喧伝されているものの、どうもデータも何もなさそうな「高所平気症」、これひとつをとってみても考えることは多いのでありました…。



●動物学者テンプル・グランディン教授のTEDトーク(日本語字幕あり)『世界はあらゆる頭脳を必要としている』。グランディン教授は、私がいたコロラド州立大学(CSU)の教授で、家畜の人道的取り扱い法等の開発の第一人者です。自閉症者で、オリバー・サックス氏の著書『火星の人類学者』の同名の章にも登場しました。研究のかたわら、自閉症に関する活動も広く進めています。

 世界には(といっても、私がよく知っているのは米国ばかりですが)、たとえば統合失調症を持つ法律学者Elyn Saks教授(TEDトークはこちら。タイトル下のInteractive Transcriptをクリックすると日本語訳も読めます)、境界型人格障害を持ち、同障害の効果的な治療方法のひとつを開発したMarsha M. Linehan教授(New York Timesの記事、英語)など、自分の「課題」を抱えて、その課題を少しでも解決する方向で生き、また、自分自身の経験も話し始めている人たちがたくさんいます(Saks教授もLinehan教授も、最近まで自分の課題を公にはしてきませんでした)。

 保育現場でみる、さまざまな個性と課題(保育者や保護者、周囲にとって不都合だったり面倒だったりするだけで「課題のある子」と呼ばれてしまう場合も見受けられますが、これも、「フツー」や「みんなと同じ」を当然として育ったおとなが社会の大部分を占める以上、必然の結果なのでしょう)を持った子どもたちが、課題を個性、特徴、特長として生きられるようにするにはどうすればいいのかなと、物心ついた時から30代末まで離人症(depersonalization)を持っていた私、いまだにミソフォニア(音嫌悪症。このページは削除しました)とつきあい続けている私は思うのでした。

 「みんなちがって、みんないい」ではない、これは私の私見です。そうではなくて、「みんなちがって、あたりまえ」。「いい」「わるい」と言い始めた瞬間になにか誤りが生まれるような気がするからです。(2015年7月)




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